ホーム > ブログ > 未分類 > はなの徒然日記3(長め)

はなの徒然日記3(長め)

ちょいとばかし、ご無沙汰してました。はなです。週末営業に向けて登っています。暑いとにかく暑いのが苦手です。

先週末は光岳小屋の関係で休暇をいただきました。休暇と言ってもです。一週間ぶりの鳳凰は、すっかり夏の匂い。

今更ですが、先々週、ご利用ありがとうございました!(すっかりヘリの荷上げでバタついており、お礼すらも言えておりませんでした。みなさま、お元気でしょうか?)

余談ですが、ここで少し。

「あなたは何者ですか?」と聞かれることがたまにあります。確かに何者かもわからない、どうやら小屋の人?くらいの認識の相手から、食事を出されたり、ああだ、こうだ言われるのはちょっと不気味。

私がどうしてここにいるのか。ここの主人細田さんから電話がきたのがはじまり。ここ数年、鳳凰小屋に入っていたスタッフが山を下りてしまい、どうしたものか、入れないか?と連絡があったのだ。私と鳳凰小屋との関係は、最近はもう年に一度、オーナーの顔を見に登るくらいだ。(私にも数年ここに通う時代があったのだが省略)そのため年末の打ち上げにも初回しか参加していないし、もはや声がかからない。それくらいの間柄。

わたしの方も、とうとう今年から光岳小屋の管理人になるぞ!と奮起した矢先休業となってしまったので、町で仕事につくならば、山にいた方がいいんじゃないかと安易に思ったのである。だから私はここにいます。答えは、アルバイトが正解かも。

まぁ、一番大切なことは、私はこの小屋が好きで、好きな場所にいられるのなら、その場所での仕事も頑張れる気がするのである。

と、言うわけで?週末お待ちしてます。

マスク着用、感染対策お願いします。

おまけ

いろいろ言いましたが、ブラボーマウンテンというwebサイトで連載をはじめております。私と山小屋との出会いも書いています。ぜひご一読を。(ちゃっかり宣伝しました)

https://bravo-m.futabanet.jp/articles/-/93124

カテゴリー:未分類

3 comments

  1. Sasaki

    退屈そうな花さんに暇つぶしを少し。
    私現在88歳の米寿、昔々鳳凰小屋には数十回、時には連泊・三連泊もしていました。バイトで入っていた田中さん(でしたよね)がまだ入りたての頃です。
    〝テカリ〟羨ましいですね。光・聖・鋸以外の南アは、それぞれの頂に10回15回と登り、時には白州から甲斐駒・仙丈・仙水尾根・三峰・塩見・赤石・千枚・デンツク峠と越えて・新倉(あらくら)まで歩いた事もありました。広河原から白根三山・農取小屋・奈良田だとか、甲斐駒・仙水・早川尾根・鳳凰小屋・夜叉神峠だとか。北アは別の魅力があるのだろうけれど、私は緑の濃い南アの方が好みです。細田さんが若い頃から、そして103歳で亡くなった秀子おばあちゃんが、まだ木造平屋の古い御座石鉱泉の時代にいた頃にも。御座石からの登り、青木鉱泉からのドンドコ沢の登り、どちらも楽しかった。ドンドコ沢ルートはずいぶん歩き難くなったようだけれど。御座石ルートは、ツバクロ頭手前の急坂で、振り返ると八ヶ岳が見えたり、トラバースのあたりから甲斐駒の頂が見えたり、富士見岩から富士山が見えれば、間もなく小屋!!……思い出すことは限りなく多い……今はそれらを思いつつ昔を懐かしんでいるところ。ハナさんも、たくさん思い出を積み重ねて下さいね。……長々と年寄りのくり言、読み捨てて下さい。倖市さんによろしく。小屋まで登るのはもう無理でしょう、せめて小武川の河川敷あたりから見える頂を眺めに行きたいものです。おばあちゃんが存命ならばらっきょう漬けでも貰いに行くところだけれど。

  2. Sasaki

    追記
    「退屈そうな」と書いたのは、小屋にあがって最初の雨の一日の記事を読んだから。金・土・日は食事・寝具・掃除……大変ですよね。昔登った頃の小屋の様子が目に浮かびます。その頃は夜の寝室はまるで〝刺身〟状態でした。我々はいつも新館の別室に入れてもらっていましたが。倖市さんお元気そうですね。どうぞよろしく。

  3. はな

    佐々木さん
    はじめまして。いつもコメントありがとうございます。この週末はおかげさまでお客様に来ていただき賑やかなひとときでした。週末ひとり営業も今回で終わり。昨晩はカレー完売で一安心です。これからシーズンがはじまります。また新しいメンバーもそろいますのでこれからも応援、声援、時にはカツを!よろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA