ホーム > ブログ > 細田倖市オーナー > 山名、鳳凰山とは甲斐国志より

山名、鳳凰山とは甲斐国志より

2012031315020000.jpg

十九世紀前半江戸幕府の命により甲府勤番支配の松平定能により編纂された地誌である。古くは鳳凰山に登るには石空川沿いに登り旧暦の八、九月が登山参拝の期間で祭日は九月九日、参詣者は石空川に懸かる精進ガ滝で沐浴し体を清めて登った、六、七月に登る者がいると天候不順を招き秋の収穫に災いが生じるとされた。登山口に温泉あり御座石の湯と言われ鉱泉の名は周辺一帯の地名が古くから御座石山と言われ其れに由来する。孝謙天皇が座して修行した石ありそれを御座石と言い其処から付けられた名前である、今の御座石鉱泉付近にありました。中道の御座石は20年位前に中道コースを整備したとき付けられもので霊場には何ら関係無いです。御座石鉱泉のある湯沢には銅坑があり湯沢に出入りするには鑑札が必要で御座石の湯から鉱泉を汲むには一桶三拾五文を甲府勤番に納めたそうです、今と違いだいぶ高い税金ですね。鳳凰山とは駒岳の南にありて東西を御座石山、西は能呂川を隔てて白峯に対する絶頂に高さ数じょうの岩山ありて遠く望むれば人物の如し多くの人は誤ち

て地蔵が岳と言い鳳凰山権現の石祠ありと当時は言われていました、今の地蔵岳が当時は鳳凰山で今のアカヌケ頭が地蔵岳、観音、薬師岳は今と同じ。甲斐国志からみると江戸時代はこの様です。まだまだ沢山有りますが又の機会に。 細田倖市

カテゴリー:細田倖市オーナー

2 comments

  1. で、本物の御座石、何処にやっちゃったの?

  2. アオト

    みさん
    本物の御座石は御座石鉱泉の川上に今も御座しますようです。少し傾いてしまっているようですが。
    詳しい場所は今度倖市さんに聞いてみられてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA